神社が文庫の創設を考えるようになったのは、江戸時代の中期から後期にかけてです。国学の台頭ということにも、大いに原因があることでしょう。中世から近世にかけては、金沢文庫、足利学校などの武家文庫があり、近世には米沢の興譲館、岡山の閑谷学校、名古屋の明倫館、水戸の講道館ほかの藩校文庫があり、それに寺院文庫、一拍遅れて神社文庫なども加わりました。
つまり、日本には非常に多くの文庫が存在したのであり、当然それらは図書館の歴史的発展過程の中で見るべきものでしょうが、にもかかわらず、西洋の図書館のように公共性が乏しかったのは、いかなる理由によるものか。近代図書館の理念や方法論は、主に海外の図書館思想、技術によるものでしょう。
図書、図書館を広く公共財としてとらえる感覚が育たず、一定支配階層の権威づけ、子弟の教育手段としか考えなかった原因を、ここで一口に論じることはできません。しかし、寺院系の文庫は難解で大部の仏典(経典)が中心ですから、聖書とちがって一般に向く表現・内容ではなく、したがって蔵書も内部の修業や研究用に供するだけとなり、一般に向け開かれる契機をもたなかったことは、強調しておくべきでしょう。
つまり、日本には非常に多くの文庫が存在したのであり、当然それらは図書館の歴史的発展過程の中で見るべきものでしょうが、にもかかわらず、西洋の図書館のように公共性が乏しかったのは、いかなる理由によるものか。近代図書館の理念や方法論は、主に海外の図書館思想、技術によるものでしょう。
図書、図書館を広く公共財としてとらえる感覚が育たず、一定支配階層の権威づけ、子弟の教育手段としか考えなかった原因を、ここで一口に論じることはできません。しかし、寺院系の文庫は難解で大部の仏典(経典)が中心ですから、聖書とちがって一般に向く表現・内容ではなく、したがって蔵書も内部の修業や研究用に供するだけとなり、一般に向け開かれる契機をもたなかったことは、強調しておくべきでしょう。